魔女狩り
ここでは、中世末期から近代に行われた魔女狩りについてご紹介します。
「魔女狩り」という言葉から連想できるのは、想像を絶する拷問によって、無実の者が大量に殺された、キリスト教が中心におこなった虐殺というイメージではないでしょうか。
実際、「魔女」として殺された人数は数千にも及ぶといわれています。
しかし、実は、この人数自体もあやふやで、時代的にも完全な記録というものは残っていないため、この魔女狩り事件自体も諸説入り乱れ状態のようです。
魔女狩りの背景
断言できる少ない要素では、いわゆる「魔法使い」は昔から「いる」と認識されていましたが、それは全部「悪」ではありませんでした。
科学が未発達の時代において、呪術とは「病気を治す」医学でもあり、「人生相談をする」カウンセラーの立場でもあり、生活に密着した重要なポストであり、知識を持った者だけがなれる職業でもあったのです。
もちろん、「悪の魔法使い」と“される”こともありました。
うちの畑が不作なのはアイツが呪ったからだ、とかそういう理由です。
それらは、民衆裁判によって、普通の犯罪と同じように裁かれ、罰せられていました。
そこに、キリスト教という文化がやってきました。
唯一神教であるキリスト教にとって、自分たちが認めた神以外は、すべて「悪魔」でした。
さらに、傷を癒したりできる「奇跡」を行えるのはキリスト教が“認めた”神や使いのみであり、それ以外は「怪しげな術を使う悪魔の使い」ということになりました。
しかし、そこで即「魔女狩り」が行われたかというと、そうではありませんでした。
キリスト教の支配力が強いところでは、逆に、発生率が少なかったり、無罪放免することもけっこうあったそうです。
領主がしっかり治めているところほど発生率が低かったこともあり、「盛り上がる領民の力を抑えられなかった」ところほど「魔女狩り」が頻繁に起こっていたようです。
そこから考えられることは、「魔女狩り」は「集団パニック」だったということでしょう。
当時のヨーロッパを襲った社会的、宗教的大変動に、人々がパニックを起こし、スケープゴートをつくりあげることで、無意識的に精神の安定を求めた行動だったのではないでしょうか。
また、国家(キリスト教)の支配が薄れているところで、独裁をしていた権力者がいた場合は、その人の判断で拷問を好んで使うこともあったそうです。
そうしたところでは、「疑いをかけられる」=「拷問をされる」と同意語でした。
密告を推奨していたため、「自分が告発される前に誰かを告発する」という防御策のループに入っていたという考えもあります。
それでは、「魔女裁判」が収まっていったのは何故でしょう。
それは、「個人の特定の行為の責任は悪魔などの超自然の力でなく、あくまでも個人にあるという概念」が国に定着したからでした。
それでも、しばらくは、庶民の間で「魔女」の告発と裁判を求める声は幾多もあったそうです。